まず初めに
シンギュラリティ―後、人間の価値は残るのかサクッと5分で読めるように考察してみました。
シンギュラリティ―とはAIが人間の知能を追い越すイベントの事です。
人によって大きく意見が違うトピックではありますが、最後まで読んでいただければ幸いです。
それでは、一般的に言われているシンギュラリティ―後のシナリオ10を書きます。
1. 人間の労働価値の急落 シンギュラリティにより、自己学習型AIやロボットがほとんどの職種を完全に置き換え、人間の労働価値が急落する可能性があります。
2. 経済格差の拡大 技術的な進化が一部の企業や個人によって支配され、富の不均衡が拡大し、一般の人々の生活水準が低下する可能性があります。
3. プライバシーの喪失 超高性能の監視技術が普及し、個人のプライバシーが侵害される可能性があります。
4. 個別化された情報操作 AIが個々の情報に基づいて情報を操作し、人々を意図的に誤導することが容易になる可能性があります。
5. 雇用不安 既存の職種が急速に消滅し、多くの人々が雇用不安に直面する可能性があります。
6. ハッキングとサイバーセキュリティの脅威 高度なAIがハッカーに利用され、サイバーセキュリティの脅威が増大する可能性があります。
7. インフルエンス操作の悪用 シンギュラリティにより、政治的、経済的なインフルエンスを悪用する者が増え、不正な権力構造が形成される可能性があります。
8. 人間とAIの対立 人間とAIの間に対立が生じ、社会的な不安定さが増加する可能性があります。
9. 環境への影響 新たな技術が環境に対する負荷を増大させ、環境問題が深刻化する可能性があります。
10. 創造性と人間らしさの喪失: AIが多くのタスクを遂行するため、人間の創造性や独自性が抑制され、個々の人間らしさが失われる可能性があります。
本論
これらを踏まえた上でシンギュラリティ―後の人間の価値について考察します。
シンギュラリティ―について、同じような事例が何百年も昔の時代に起こっています。
それは銃や戦車という、人間の身体能力を凌駕する兵器の登場による、ある意味での人間の力の超越です。
これまでは身体能力がある人が揺るぎない地位を持っており、重要視されていました。
つまり、物理的な力量が人の価値の大部分を決めていました。
筋トレで、テストステロンという自信の向上の他に、競争心を高める効果があるホルモンが出るのは肉体的な強さが強さの基準だったことを象徴しています。
しかし、勉強や脳トレをしたとしてもテストステロンは出ません。
人間の長い歴史において、あまり頭の良さは重要ではなかったのでしょう。
物理的な力量が人の価値の大部分を決めていた実例を出すのなら、血気盛んな武将たちがしのぎを削って戦っていた頃の安土桃山時代なんかでしょうか。
しかし、そこに銃や戦車など圧倒的な力を持つ兵器が現れました。
どんなに強い武士でも、長篠の戦いのように鉄砲3000丁による3段撃ちなんてされたらひとたまりもありません。
それからは肉体的に力の強さが持ち味の武将は力を存分に振るえなくなります。
どうでしょうか この状況はシンギュラリティ―後の状況に似ていませんか?
“シンギュラリティ―” → 知能の超越
“銃や戦車による人間の力の超越” → 力量の超越
では銃や戦車による人間の“力”の超越が起こってから人間の身体能力は必要なくなったのでしょうか?
答えはNOです。今ではスポーツにて、突出した身体能力のある人は場所を変えて戦っています。
しかし銃や戦車がなかった時代とはいろんな点が変わりました。
■スポットライトに当たれる人が大きくしぼられた。
■基本的に価値を新しく生むのではなく、価値をもらうようになった。
まとめ/人間に価値は残るのか?
シンギュラリティ―の後の人間の価値は、残ると思います。
しかし、前に挙げた2つのように大半の人間は価値を与えられる側となって、今の”スポーツ”のような成果主義の社会へと変わると私は考えています。
補足
仮想技術が発達し、多くの人はそんなことどうでも良くなっている可能性も高いということもここに書いておきます。